∞ 暁務報告 ∞

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暁(あかつき)によるゴッタ煮ブログ【ぎょーむ・ほーこく】。局地的に広く中途半端に深い(笑)趣味で展開してまいります。

聯合艦隊司令長官 山本五十六 感想その2

「その1」から間が空いてしまいました。
その間に先に掲載したように大ヒット御礼舞台挨拶も行っちゃった(笑)ので、本日1月14日の時点で6回行ったことに。明日15日に同じく玉木ファンの友人と一緒に観に行く7回目をもって、とりあえずキリをつけたいと思います。

さて。

この映画のタイトルは、確かに『山本五十六』であり、彼についてのストーリーではあるけれど、「その1」で述べたとおり、彼が否応なしに戦争を始めざるをえない状況へと追い込まれていく様子を描いたものであり、彼の死をもってこの作品は終わり……というわけではありません。
彼の乗った戦闘機が追撃され、墜落炎上して彼自身が果てても戦争は続き、ようやく敗戦というかたちで終戦を迎えても、相変わらず「忘れやすい」この国の人々は多くのことを忘れて突き進んでいく。
だから「戦争はやってみなければわからない」なんてアタリで戦争を引き起こし、「戦争は海の向こうでやっている」とのんきに「戦争すれば景気が良くなる」と言い出す--実際に亡くなっている人もいるのに「仕方ない、戦争なんだから」と片づけるわけです。
(だからこそ、五十六の「(前線の兵士たちには)捨て石になってもらう」がとても重く響くのですが)

「忘れやすい」ことは、五十六の言うとおり長所でもあるけれど、また同じ過ちを繰り返すかもしれない。だから同じく繰り返してこのような戦争があったことを伝えなければならない、というメッセージが強く込められていると思います。
だからこの作品は、一貫して、少々語り過ぎるぐらいしつこく(!)これらのメッセージを繰り返します。だって、相手は「忘れやすい」んですもん(苦笑)。

覚えている人の高齢化に伴いどんどん風化していくし、新聞等に書かれることなく通り過ぎていったことを伝える術もなく、私を含め「戦争を知らない」人たちばかりになっていく。知ってる人、あるいはそういう戦争系のことに詳しい人たちにとっては不要だと思われることも、知らない者にとってはとても有効であるはず。

そういうわけで私は、最後の最後に真藤が語るあたりが不要だとか蛇足だとかは思わないのです。
むしろあの荒れ果てた東京の街は、そのまま先日の東日本大震災の被災地のように映り、またここから始めるのだ、という、後悔と決意との両方の気概を感じることができるのです。

あと、この作品の特筆すべきことは、情報操作というものに焦点を当てていることにあります。
ヒットラー率いるドイツのことは都合のよい記述のみ掲載されていること、「撤退」を「転進」と言い換えて情報操作するのが当たり前のように行われているということへの警告を発しています。

「目」「耳」「心」を広く開いて、という五十六から真藤へのメッセージは、そのまま観客である私たちにも大いに発せられているわけです。
そのために、米百俵の話は海軍学校へ自分の思いを共有してくれる部下へ託し、目の前の富(戦勝)より人材育成を強調する五十六の思いに通じます--広い視野を持つ者を育て、同じ過ちを繰り返さないようにしたいという思いに。

……てなことを私がつらつら書いていると、何だかものすごく教訓めいた感じになっちゃうわけですが、この作品はそれがちっとも押しつけがましくない。まあ前述どおり、「わかっている」人には少々鬱陶しいほど同じことが繰り返されているかもしれないけれど、丁寧に丁寧に語られた作品だなぁと思っています。
だから、全てが理想どおりになったわけではないことも描かれています。

新聞社の主幹たる宗像も、あっという間にアメリカ万歳、民主主義を大文字に!とのたもうています。彼が赤紙を受けて出征する真藤を見送った後のえも言われぬ想いのまま留まっていないことが、むしろ映画作品として面白く観ることができました。五十六さんの想いどおりにはいかない。でも五十六がそうであったように、宗像には宗像なりに日本という国を良くしたいという信念のもとで行動しているのでしょう。
でもそれが誤った方へ向かうとき、今度こそ真藤は前回よりも強く声をあげることでしょう。

世論という存在の恐さと、一方でそれに負けぬ人の心意気というものを感じさせてくれる作品でした。
目と耳と心を大きく開いて--なかなか難しいし、すぐ忘れちゃう(^^;)けど、できるだけ心がけたいと思います。

***

たぶん次回は萌え部分(!)の感想を(笑)。
そして、お誕生日おめでとう>玉木くん
同じ誕生日の母ともども、お祝いさせていただきます(^_^)
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by gyohm | 2012-01-14 03:12 | 映画